Sunny & Rainy
その名は知らず記憶にとどめよ
“かりそめに 死者二万人などいふなかれ 親あり子あり はらかりあるを”
by:長谷川櫂著『震災歌集』
直訳すると
「決して 死者二万人などと言ってはならない 親がいて子がいて 兄弟がいるのだから」
※はらかり=兄弟のことを示す
だが、もう少し深く私的な解釈を加えると
「簡単に“死者二万人”などと表現するべきではない
その命ひとつひとつは
誰かの親である人、
誰かの子どもである人、
誰かの兄弟である人
それぞれに名前を持つ
誰かのかけがえのない人なのだから」
そんな風にわたしはこの句を詠んで感じた。
震災後、日々刻々と増え続けた「死者・行方不明者の数」。
わたしたちはただその数字だけが増えていく一方で
いろんな感性が麻痺してしまい、
2万人の中の1人の人間の人生を考えることが少なくなってしまったように思う。
震災直後、誰かが言った。
「2万人の犠牲者が出た事件があったのではなく、
1人の犠牲者が出た事件が2万件あったと考えるべきだ」
まさにその通りである。
このニュースを見て、
あのときのその言葉を思い出した。
いちニュースで取り上げられたこの光景が
2万件あったのだと。
犠牲者が多かろうと少なかろうと
忘れてはいけないことがある。
それは
みんな誰かにとって愛しい人だったということ。
他の誰にも変えることができない
唯一無二の存在であったということ。
ニュースで一括りにされてしまう
その2万という数 ひとつひとつに
それぞれの名前があり
それぞれの人生があり
それぞれの家族があり
そして
それぞれの未来があったのだということを
わたしたちは忘れてはいけない。
今も尚、増え続ける犠牲者。
いつになったらそのカウントは終わるのだろう。
仮設住宅に入ってから孤独死する人
自責の念や絶望から、自らその命を絶つ人
これから失われゆく命も多かろう。
けれど、わたしは無力すぎる。
何ができるのだろうと考えても
何もできない。
何かをできる余裕も知識も技術もない。
そういう現実が訪れると分かっていても
救えない命がある。
そう言う現実がやってくることを
ただじっと耐え、
あぁ、やっぱり来たかと
テレビ越しに胸を痛めるほか
どうすることもできない。
そしてその一方で
今も尚、その身を削って戦っている人達がいる。
福島原発の収束は見えない。
最近に至っては報道も希薄になった。
社会がまるで皆に忘れろとささやいているように
人々の心の中は
震災は過去に 原発は謎に
だんだんとその記憶は変化しつつある。
でも被災地に「あのころ」はもう戻らない。
わたしたちの非日常は被災地の日常になっている。
そして、今こうしている間にも
必死に原発の事故処理にあたっている人に敬意を示し
同じ『震災歌集』から、最後にこの句を紹介したい。
“被曝しつつ 放水をせし自衛官 その名は知らず 記憶にとどめよ”
わたしたちにできる、唯一のことである。
みんな何かを守りたくて
神戸は今日は雨です。
扉を開けると雨が降っていて、
踏み出そうとした足を慌てて引っ込めました。
「雨には濡れちゃダメだ、今日は外出は避けよう」
けれどはたと、今自分は
原発からは遠い遠い場所にいることを思い出して、
自嘲しながら空を見上げました。
そして傘をさして今度は水溜まりにすら臆することなく
再び雨の街に踏み入れるのです。
原発の渦中にいたときに覚えた拒否反応が
今もわたしを包んでいます。
向こうにいたときは「どうにでもなれ」と思っていました。
物資難で何を手に入れるにも
外に並ばなければならなかった震災直後に、
雨に当たらないで生活なんて不可能でした。
「極力あたらないようにしよう。」
そう思いながらも、大雪の中、ほとんど傘も意味をもたない外を歩き回りました。
生きるためでした。
後悔はしていません。
今も尚被災地の人はそういう生活の中にいるのでしょう。
故郷を離れわたしのように
遠い街に越した人も少なくないでしょう。
けれども最近哀しいニュースが目立ちますね。
「福島県民お断り」のレストランやホテルがあると聞きました。
このようなお店を徹底的に調べて潰せ
などという過激な発言も目にします。
福島県から避難した子ども達が新しい学校で
「放射能がうつる」と言われ
いじめを受けているというニュースも聞きました。
思わず涙がこぼれました。
でもわたしには
彼らを非難することは出来ません。
いつだったか
「福島出身と言うだけで結婚を断られる時代が来る」
そういった誰かの予想が、
思いの外リアルに、そして急速に
現実になる気がします。
原発の問題は
「人が生み、人の力によってもたらした」
と言う意味では、確かに「人災」です。
けれど、
今日本社会に起きている
都会の物資難
被爆地域避難民への差別
流出するデマ
何を信じたらいいのか分からない報道
それこそが
本当の「人災」だと思うのです。
人の弱さ、醜さ、狡さ、脆さ
そして人間の正義と悪が鬩ぎ合って
生まれた本当の二次災害。
けれどみんな人間。
テレビやネットでたたかれるその言動は
きっとわたしの心にもあなたの心にも
存在すると思うのです。
福島で被災した弟を
福島からわたしの一人暮らし先の仙台に迎えいれるとき
わたしのアパートには、すでに
数人の先輩や友人が身を寄せあって生活している状況でした。
そんな中、
福島から弟を迎えるという話を
わたしはみんなにもちかけることに少し勇気が必要でした。
原発が最悪の事態だった最中。
決してわたしの実家も被曝量が小さいわけではありませんでした。
そのときわたしは
弟を守りたい思いと同じくらい
わたしの部屋にいるみんなも守りたかったのです。
高速バスで福島から仙台に到着した弟を迎えにいったとき、
抱き締めて再会を喜ぶことはおろか、
重い鞄を背負った弟の荷物をわたしは何ひとつ受け取りませんでした。
彼の体に、荷物に
一切手を触れることはありませんでした。
アパートに着いてもすぐに部屋にはあげませんでした。
濡れタオルをわたし、
来ていた服や、荷物の全てをふかせた後
そのままバスルームに通し、
服はすぐ洗濯機にかけました。
そして全てが終わって彼がシャワーからあがってきて初めて
わたしは弟を休ませることが出来ました。
わたしの布団で爆睡する弟を見て
なんども心の中でごめんねと呟きました。
自然と涙が流れました。
そのときなんて自分は薄情な姉だろうと思いました。
でも
守りたかったのです。
自分を。
自分の傘のもとに集う人々を。
そしてそんなわたしたちの視線から弟を。
守りたかったのです。
そんなわたしは善で
「福島県民お断り」のお店は悪ですか。
わたしはそうは思えなくて。
みんな誰かを何かを守りたい。
それは家族。
それは友人。
それは知り合い。
それは同僚。
それは部下。
それは常連のお客さん。
それはお得意の企業。
それは信頼。
それは名誉。
それは評判。
それは、、、
そして、自分。
自分を支えてくれるものが
失われたり傷ついたりすることは誰だって嫌なのです。
それを守ろうとすることは人として普通の行動だと思うのです。
もし、今原発の現場で作業している作業員が
日本の「安心」を得るための「犠牲」と呼ぶのなら
あるお店の顧客や従業員の「安心」を得るための「犠牲」が
「福島県民」であった、ただそれだけのことだと思うのです。
どんなに小さなコミュニティにおいても、
「安心」に「犠牲」が着くのなら、
それによって傷つき涙する人がいる。
それを罵倒する人がいる。
でも、待って。
そこに実は
「安心している人」はいませんか。
もし、いるのだとしたら
「福島県民お断り」の札は「悪」ですか。
みんな何かを守りたくて。
そしてみんなホントは守られたくて。
でもそんな弱さを見抜かれないように
守ろうと必死になる人たちを罵倒したり嘲笑ったりする。
福島県民が差別されるのは辛いし、やるせない。
でも原発があったって、わたしは福島が好きです。
わたしたちをはじくことで
多くの人の安心が得られるのなら
わたしはそれを受け入れましょう。
でも、もしひとつだけわがままが聞くのなら
どうか子ども達の中に生まれる差別の芽だけは
大人の力で守って欲しい。
親や家を失った子ども達から
訪れる未来への希望や喜びまでも奪わないで欲しい。
辛かったけど、苦しかったけど、哀しかったけど、
でも
未来は沢山の光と出逢いに溢れているんだって信じて欲しい。
そして
いつか故郷に戻って欲しいのです。
わたしは福島県民です。
だからなんだっていうんだ!
ってくらい力強くなって、ね。
さてさて、最後に
かの有名なキリストは庶民の罪をその身に背負って
磔にされたと言います。
わたしたちのかわりに
被災地の人が苦しんでくれているんだと思えば
その哀しみは人事にはならないのではないでしょうか。
今日は被災地の晴れを願って
神戸の雨に打たれます。
雨よ、ありがとう。
闇よ、ありがとう。
哀しみよ、ありがとう。
きっと世界はプラマイゼロで出来ていると思うから。
崩壊教室
不安と恐怖と寒さに震えていた。
小学校の校庭の時計は
地震が起きた時間で止まったままだった。
どうしてだろう、
その瞬間をも恐怖がなかった。
言葉を変えるなら
実感がなかったんだと思う。
被災地にいるという現実味を感じなかった。
悠長にも
「今日学校終わったら
東京行きの新幹線に乗る予定だったのに…
これは中止だな(苦笑)」
なんて、
出席するはずだった
学会の心配なんかをしていた。
相変わらず頭上はヘリがとんでいて、
建物の上にまっすぐに立っている
アンテナみたいな棒が
ぐにゃぐにゃに揺れているのをみて、
その奇妙な光景を皆が指差して笑っていたりもした。
そんなこんなしているうちに
ようやく校舎への入室許可が降りて、
わたしたちは
自分たちの荷物をとりに教室へ戻った。
屋内の階段は全く電気もなくて
足元がおぼつかない中
初めて手すりの有り難さに気付いた。
目が見えないってこんな感じなのかな、
なんてことを考えた。
些細な段差さえ、恐ろしい。
わたしたちの教室は
見るも無惨だった。
わたしは一度観ていたからまだ驚きは少なかったけれど
そのまま避難したみんなは
もっとショックだったと思う。
真っ先に駆け込んだのはみんな自分の担当犬。
当たり前だよね。
背中に結を背負っていたわたしは
ひとりだけズルい奴みたいで
心が痛かった。
ラックは倒れ、飲み物が散乱して水浸し。
倒れたロッカーの中身が溢れでて
ごちゃごちゃになった山の中から、
みんなは自分の実習着を探していたけど
幸いわたしはそのロッカーには
ほとんどものを入れていなかったので、
防寒着と寒さ対策になりそうな実習マットや毛布を両手に抱えて
また暗い階段を慎重に降りた。
教室にある倒れるて予想されるありとあらゆるものを倒した。
学級崩壊の跡みたいな教室を後ろ目に
またこの教室に帰ってこれるのはいつになるのだろうと思うと
急に、切なくなった。
雪
凍えるような寒さの中、
犬達を残してきた8階をずっと見つめていた。
外にいると屋内よりは揺れに対して鈍感になったが、
校庭のライトスポットが大きく揺れているのをみて、
まだ大きな余震が続いているのだと知ることができた。
小学校の子どもたちは、戦時中のような防災頭巾を被り、
オフィスマンはヘルメットをかぶった上に
緊急避難バッグを背負っていた。
そんな中、着の身着のまま出てきたわたしたちは
決して厚着とは言えず、
肩を寄せあって、温もりを分け合った。
揺れが少し収まる度に
先生方が校舎に入り
暖をとるために上着や毛布を
持ってきてわたしたちにかけてくれた。
そのとき
学校にいなかった先生方も
すぐに駆けつけてくれた。
みんなが先生に泣きつき
新聞記者と思われる人はどこから現れたのか、三脚でわたしたちの様子を撮っていた。
上空には、メディアヘリが大きな音と共に通りすぎていく。
すると空から
まるで古い本棚を整理したときのような、
街のホコリのような雪が
今まで観たことがないほど奇妙に降ってきた。
あの雪を
わたしは一生忘れないだろう。
この世に生きる喜び そして悲しみのことを
パパとふたりで 語り合ったさ
この世に生きる喜び
そして 悲しみのことを
グリーン グリーン
青空には 小鳥が歌い
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がもえる
その時
パパが言ったさ ぼくを胸に抱き
つらく悲しい時にも ラララ 泣くんじゃないと
グリーン グリーン
青空には そよ風ふいて
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がゆれる
ある朝
ぼくは目覚めて そして 知ったさ
この世に つらい悲しいことがあるってことを
グリーン グリーン
青空には 雲が走り
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がさわぐ
あの時
パパと 約束したことを守った
こぶしをかため 胸をはり
ラララ ぼくは立っていた
グリーン グリーン
まぶたには なみだがあふれ
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がぬれる
その朝
パパは出かけた 遠い旅路へ
二度と 帰って来ないと
ラララ ぼくにもわかった
グリーン グリーン
青空には 虹がかかり
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がはえる
やがて
月日が過ぎゆき ぼくは知るだろう
パパの言ってた
ラララ 言葉の意味を
グリーン グリーン
青空には 太陽がわらい
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑があざやか
いつか
ぼくも 子供と 語り合うだろう
この世に生きる喜び
そして 悲しみのことを
グリーン グリーン
青空には かすみたなびき
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がひろがる
『グリーン・グリーン』
片岡 輝 作詞
B.Mcguite Rspark 作曲
小森 昭宏 編曲
この曲を知っている人は多くいるだろう。
しかし、情操教育により
小学校で教えられるのはたいてい3番までで
7番までこの曲が存在することを知っている人は実は少ない。
ついさっき訃報が入った。
同学校の生徒が亡くなったというものである。
涙が、次から次に溢れてくる。
ずっと目を背けたいと思っていた現実が
いよいよ目の前に突きつけられた。
心からご冥福をお祈り申し上げたい。
神戸に来て、東北から来たというと
沢山の人に激励を頂く、
すれ違いの人、お店のレジの人
神戸も阪神淡路大震災の被災地。
被災者の先輩である。
「これから、どうしたらいいんでしょう。。。
どうなってしまうのでしょう」
そう呟くと
先輩方は必ずこう答える。
「10年あれば立ち直れる。
全部じゃないけど、必ず復興できるよ。
時間が経てば、前を向く人が必ず現れて
ちゃんとひっぱってってくれるから。
わたしたちも、
そして世界中の人たちが
今、みんなを応援しているんだよ。
だから大丈夫。」
大丈夫という言葉は
人という字が3人集まっているから、
安心した響きになるんだよって教えてもらった。
大丈夫。大丈夫。
わたしたちはひとりじゃない。
それどころか3人なんて単位じゃないくらい沢山の人が生き残って
それよりもっと多くの人がわたしたちを応援してくれている。
だから、大丈夫。
いつかこの曲の7番のように
わたしたちも自分の子どもに語り合える日が来るといい
この世に生きる喜び、
そして
悲しみのことを。
Infomation
Profileの下にありますので、
コメント以外で
何かお問い合わせがございましたら
どうぞご活用下さい。
Surch in my blog
What's New ?
あの日から2ヶ月近く経ちました。
けれど、まだそんな実感が湧きません。
わたしは元気にやっています。
沢山の応援の言葉本当に
ありがとうございました。
未だ光の見えない原発事故
震災、津波で被害にあわれた方々に
心からお見舞い申し上げる共に
この度失われた多くの命の
ご冥福をお祈り申し上げます。
特に沿岸部で被災された皆様
わたしたちには想像もできないほど
多くの「大切」を
失われたことでしょう。
復興と叫ばれる社会の中で
置いてきぼりを食らうような思いで
一筋の光さえも見いだせずに
いらっしゃる方もいるかもしれません。
けれどどうか、
その命だけは、捨てないでください。
あなたのその命は
あなたを思う大切な人が
命をかけて守りたかった命です。
どうか、希望が見えなくても
涙が止まらなくても
生きることだけは
どうか捨てないでください。
どうか、どうか。
2011/05/21(Sat)
Profile
高2の夏に鬱病発症。
あれから4年。
当初、寝たきりだったわたしを
こうして太陽の下を歩ける程、
回復させてくれたきっかけは
小さな子犬との出逢いだった。
躓いた道で拾った夢。
今度は自分自身が、
誰かの心を癒せるになる為
専門学校に通いながら、
通信制大学も併学。
アニマルセラピストと
臨床心理士を志す。
一人暮らしの闘病生活。
今はセラピードッグのたまご「結」と
ひとりと一匹暮らし。
育児に奮闘する日々。
持ちつ持たれつ、
都会の真ん中でささやかに生きる
わたしたち。
それが幸せと思えるようになった。
突然訪れた病魔、
思いもしなかった挫折、
幾度も憧れた死。
旅立っていった友。
それを
支えてくれた家族。
待っていてくれた友。
救ってくれた小さな命。
だから今生きている。
ただ、精一杯に。
このBLOGはそんなわたしの軌跡。
このBLOGで出逢えた全ての人に
心からの感謝を込めて。
そして
きっと今日もこの世界の片隅にいる
沢山の「わたし」たちに
届いてほしい。
ただ、「生きて」と叫ぶ、
世界の片隅のわたしの声が。
lily
*追記*
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